僕の本当のこと

つらつら思ったこと、僕の本音

ODした話

仕事しながら月1度の定期受診はできていて復職から7ヶ月休まずに通えていた。

希死念慮もあって入院の話も出てたけれど前々回の受診で死にたいなら死ぬ気で今の問題に向き合ってみれば?って言われたので、そんなやる気は無いですと答えたらミルタザピンが増薬になった。

それからは希死念慮はあるものの落ち着いてた。

 

最近ODする回数が増えて週4、5回はブロンODしてた。前回の診察の時にもそのこと先生に伝えて多いんじゃない?って言われたし自傷行為のことも聞かれたから話した。仕事行く時に動悸がしてきついことを話したら心のキツさが体に出てるから心の声を聞いてあげてと。大晦日でもキツくなったら早めに来ていいよと珍しく優しかった。

 

日曜の夜、仕事のこと考えると気分の落ち込みが酷くてブロンOD。経緯はよくわからないけれど余っていたバルプロ酸も入れて計34T(頓服として飲んだジプレキサと就寝前の薬5Tは別)OD。あんまり寝れなかったけど仕事行くつもりだったから顔洗って、弁当作って、着替えてる途中でプツンと糸が切れたように動けなくなって、吐き気もあったから吐き気を理由に上司に電話して仕事を休んだ。電話した後に仕事を休んでしまったことの罪悪感、もうどうにでもなれと自暴自棄になりブロン30T、バルプロ酸10T、トラゾドン10T、計50T。昨夜から数えると90T OD。仕事の休みを有給休暇にして貰うために近くの内科を受診。動悸がひどくて心拍数140もあった。素直にODしたことを話したら内科だから専門的な治療は行えない、親も呼ばれて救急車で市内の総合病院に行くのかかかりつけに行くのかとの2択。とりあえず点滴してもらい、市内の総合病院に行ったところで精神面を診てくれるわけじゃないしその後かかりつけ病院に行けって言われるような気がしてたのと救急車に乗るのが嫌だったのでかかりつけ病院に行きました。主治医が非常勤なので別の先生に見てもらったけれど、人見知り、漠然とした質問への戸惑いで全然話せなくて終わった。長い治療計画の中でどのタイミングで入院した方が良いのか主治医とよく話し合ってくださいってなって次回の受診日はもとの受診日のまま年明けに。

親が今夜は心配だから実家に泊まるようにと実家の布団の中で帰ってきてからずっと過ごしてる。

 

今回、頭の中で起こってたことを整理すると、

・来年度の仕事の編成のことでどうするか話があり、来年度も生きなければならないのかと頭の中が混乱していた。

・仕事でここに行きたいって頭の中にプランがあったのに後輩のスケジュールの都合上難しくなってプラン変更を余儀なくされてパニックを起こしてしまいASDめんどくさいなってなっていた。

・神田沙也加さんの急逝。死ぬという選択ができたことが羨ましかった。

・後輩の勤務態度について病棟も違う僕がどこまで口を出していいものか、どう伝えればわかりやすいだろうか、キツく言ってしまって後輩を傷付けてしまったらどうしようかと僕自身の神経が擦り減らされていってしまっている。

 

こんな感じだろうか。職場には迷惑かけられないから明日からはちゃんと仕事に行くしかない。命をすり減らしながら。