僕の本当のこと

つらつら思ったこと、僕の本音

癒し系男子

14日目以降。
いつの間にかこんなに時間が経っていた事に驚き。希死念慮良くならないし、焦る。
カウンセリングでの気付き。否定される事を恐れているけれど否定されて自分ダメだなと自分で自分にフィルターかけていることでさらに自分を追い詰めている。発達障害であることも関係していて、発達障害であることが今抱えている問題の根を強靭にしているって言われてやっぱり僕は発達障害なのかと完全に受け入れられていない自分がいる。

食べては吐いていたので食前にガスモチンが飲めるようにしてもらった。細かいけどジプレキサが2.5㎎×2T→5㎎×1Tになった。ベルソムラになって、睡眠の質はブロチゾラムとあまり変わらなくて浅い感じで夢を見て朝から疲れている感じ。
主治医が診察日ではないけど来てくれた。好き。癒やし系。ご飯食べれるようになったから点滴せずに様子見ることになった。土曜も来た。見回りの回数を減らすらしい。看護の都合上だけど。

定期の診察。
ベルソムラになって夢をよく見るようになってあまり寝れていないため、増量。今出ている他の薬は変えると副作用がどう出るか分からないし、薬よりも環境によって良くなるだろうから変えない方向になった。仕事辞めるか続けるか悩んでいて焦っている話をしたら今は決断する時ではないって先週と同じことを言われた。先週と何も変わっていないようで嫌だ。自傷した。

例の看護師さんとハグした。
話している間手を握ってくるのでハンドクリームの匂いが僕の手にもついて後になっても幸せな匂い。クナイプのさくら。

副主任が夜勤の時にゆっくり話をした。今は変化する時ではないと主治医と同じ意見。先週と一緒。悔しい。あとは心を開けるようになること。これは師長が言っていた事と同じ。言われていることはずっと同じだな。悔しい。

意味わからないタイミングで気分が落ちた。師長にはウサギさんって言われた。根本には寂しさがあるんだろうと。
ご飯食べては吐く事を繰り返している状況が続いていて吐き気止め飲んでもあまり効果なし。ご飯も食べたくないしジプレキサを飲むとお腹減るから拒否。したけど後から副主任に自然な流れでジプレキサを飲まされた。悔しい。懐かしのメッツのライチを副主任に奢ってもらった。

点滴が天敵

入院7日目以降。
点滴(トリフリード)の量が倍に増えてから、することが限られる時間が増えた。点滴が無くならないにしても減らしてもらえるようにしたいからご飯も少し食べるようにしたけど、あまり食欲はなし。日によってムラがある。ジプレキサが効いている夜は食欲がある気がする。診察翌日には点滴1本になっているはずと思ったのに翌々日から1本だったので不毛な1日を過ごした。
副主任に僕の心は鉄の扉だって言われた。開け方が分からないからネチネチ師長と副主任が開けていく。ネチネチ開けていく方法は古い看護の考え方みたいだから他の看護師には期待しない方がいいと。
師長と副主任と僕との3人の交換ノート的存在のものがあってうまく言葉で気持ちを伝えられない時はその紙に書いている。
(´・ω・`)←主治医によく似てる
診察。眠りが浅いって話をしたら、眠剤が変わるらしい。前の病院からなので3年以上変わってなかったけれどついに変わるので不安。後日、看護師さんに聞いたらベルソムラに変わるらしい。夕食後のクエチアピンが眠気を誘い夕寝しちゃうのも夜の睡眠を浅くしている要因でもあるけど。点滴を2本→1本に減らしてもらった。今は重大な決断をする時じゃないからしっかり休むようにって言われたけど、先が見えない。死にたい。先行きが不安で焦りもあって自傷してしまった。
副主任に交換ノートに診察で主治医に言われた今は休む時で決断するときではないと言われたけど調子が良くなる時が来るのだろうかと不安、焦燥感があって自傷してしまったことを相談。副主任も主治医と同じ意見で今は休むとき。入院できる期間が3ヶ月あるからその期間しっかり休むようにと。いろいろフィルターがかかってモノの見方も今はおかしくなっている状態で心が疲れている状態みたい。

看護師さんみんなよくしてくれるのだけど、特によくしてくれる看護師さんがいて、なんか好きなんよって言われた。仕事が休みの日でもご飯食べてるかなとか気になると。ボディタッチ多いし、頭なでなでしてくるし、ほっぺたつんつんしてくる。困惑。僕のことを担当じゃないけど気にしてくれているし何となくの気持ちには気付いていた。思わせぶりな態度を相手が取ると僕のASDの特性上そのまま受け止めてしまうからなぁ。話の流れで僕に恋人がいることは伝えた。流れに身を任せて行くしかないんかな。

仕事のことがふと浮かんで罪悪感が強くなって死にたくなった。死にたいからご飯もいらないし、薬もいらない。全部拒否したら先生が来てくれたけどうまく話せない。死にたい気持ちが強くなっていてどうしたらいいか混乱していることだけは伝わったかな。一緒に治療していこうって言われた。ご飯も薬も無理しなくていいって。前の主治医も気にしているよって。今の主治医、若そうに見えて精神科医として働く前は別の仕事していたっぽいので意外と年かも。結婚指輪してるしブカブカだから最近作ったものでもなさそう。

主治医が看護師さんに頻回に見てもらうようにするねと言ったわりにはいつもと変わらない夜勤帯。また来るねと言葉に翻弄されている自分。何もかもが嫌になる。昼、夕と薬も食事もスキップ。意にそぐわないけれど夜を穏やかに過ごしたいから寝る前の薬だけは何回か拒否したけど最終的には飲んだ。
朝になり、主治医の指示で30分に1回訪室するようになっていることを知る。点滴もなくなった訳じゃなかった。けれど僕は何もしたくない。昼に師長も副主任も来た。師長に入院してきた意味を考えろ。みんな心配してる。少しずつでいいから心を開けって言われた。自分の不甲斐なさなどいろいろあって久しぶりに泣いた。優しくハグしてくれるところも好き。
少し昼食食べたけど嘔吐。おとなしく点滴することにした。夕食後も嘔吐。空腹を一時的にしのぐ感じになっている。

例の看護師さんと話をしたけど相変わらずボディタッチが多い。誰にでもボディタッチをしているわけではなくて僕とはフィーリングが合うからボディタッチしちゃうらしい。去り際に好きだよって言われてどうしていいか分からん。

1年ぶりの


入院して1週間の記録。
1年振りの入院。希死念慮が強いため医療保護入院。主治医が非常勤の場合でも告知書とか入院届とかに非常勤の主治医の名前でいいんだろうかと仕事に関係することを頭の中で考えてしまう。
告知書も貰ってないし。
連想ゲームのように仕事のことを思い出し、院長の渋い顔とかフラッシュバックして頭の中がそわそわする。うわーって大声を上げたくなる。

前回と違う病棟で師長も副主任も仲のいい人だから助かった。2人の顔見るだけで安心する。その病棟に3年振りに入院したけど知ってる看護師さんも何人かいて助かっている。

副主任とトイレとかお風呂のこととか一緒に考えてもらえて、トイレは身障者用でお風呂は一人で入れる保護室のお風呂。洗濯は持っているものが男物だから男性用を使うことに。副主任には甘えて一緒に荷物片付けてもらった。
入院前夜ブロン卒業式として家にあったブロン2瓶168錠飲んだ。2瓶飲むと寝れてなくて吐き気やばい状態だった。書類を書く手も震える。吐き気止め出してもらったけど結局飲まず。今の主治医が非常勤だから入院中は主治医が変わる。
その日のうちに入院中の主治医とはじめましてをしたけど若くて真面目そうな先生。慎重そうなイメージ。

相変わらず環境が変わると食事が入らない。ASDゆえ?

翌朝も主治医が来てくれて食事が入っていないことを心配されて点滴に。点滴2日目にして看護師さんから血管がないと言われる。月曜の診察の時にもまだ1食も入っていなかったため点滴継続。

入院翌日にフラッシュバックのような現象に耐えきれず希死念慮も大きくなって自傷。そこから毎日のように自傷。右腕には点滴の跡、左腕には自傷の跡と傷が絶えない。

師長も副主任も出勤の時は顔を見せてくれる。すごくありがたい。
担当は48歳おじさん看護師。一生懸命なのは伝わるけれど好きになれない。師長も僕と担当が合うとは思ってないみたい。

薬は入院前と変わらず。頓服でロラゼパムが出てるくらいで頓服で飲んでいたジプレキサは定期入りしてしまった。飲んでもあんまり変わらないけど。

点滴の処方が無くなるタイミングで診察日じゃないけど診察。
ご飯食べれてなさすぎて点滴の量が増えた。食事に補助食品がつくことになった。飲みにくくてまずい。薬の変更も考えてくれるみたいで、減らせる処方は減らして増やすところは増やす方向に。眠剤もついに変わるかも。
その結果、元々頓服で一日一回飲めるようにするために便宜上昼にしていたけれど、効果もあまり実感できず、何で飲んでいるかわからないジプレキサが2.5㎎から5㎎に増量。謎である。
不安だったカウンセリングは継続して行えることになり、無事にカウンセリング1回目。
いつものようにカウンセリングメモ見ながら話をした。今後のカウンセリングの方向として、僕の一番根底にあるのは性のことなのでそのことがうまくいけば入退院を繰り返さずにうまく自分と折り合いをつけていけるようになるのではないかと。

命をすり減らしながら

仕事に2日続けて行けなかった。

連休明けでやらないといけない仕事がたくさんあることがわかっていた。弁当まで作って準備はしたけれど吐き気もあってかなり格闘したけれど行けなかった。体が全力で拒否していた。前日いつものやつ24T ODして睡眠状況もよくなかったことも少しは関係しているけれどODすることでギリギリの精神状態を保てていた。

 

もう限界で首吊って死のうと思って玄関前にビニール敷いて、紙パンツはいて体液で床が汚れないように準備してベルトを用意して最期大好きな松尾昭彦さんの曲を聞いてベルトを首にかけるところまでしたけれど死ねなかった。

 

年々ストレスと向き合うことが下手になっている気がする。すぐODとか自傷行為にはしってしまう。カウンセリングで勉強したことが全然活かされない。

 

仕事に行けなくなった理由を考えたら少なからずコロナが関係している。

外泊して家族からのOKサインが出たら退院ってところまでなんとか病状が安定した患者さんがいて退院支援を頑張っていたけれど、コロナで病院側が外泊禁止を出して退院支援が止まった。多分頭の中でできていた計画の変更を余儀なくされてパニックになったんだと思う。数日経って調子の悪さの原因の一部がわかって安堵している自分がいる。

患者さんがパニックを起こすなら分かるけれど支援者側がパニックを起こすのはおかしいと自己嫌悪に陥っている。他の人はそんなことでパニックを起こさないんだろうなと他の人と比べてしまう。ASDの僕を僕自身うまく扱えていない。

 

死ぬことが唯一の問題解決方法って思っていて視野狭窄を起こしていることも冷静に理解できている。でも死ぬ勇気がなかった。もう殺してもらうしか方法はないんじゃないかと思う。

 

ODした話

仕事しながら月1度の定期受診はできていて復職から7ヶ月休まずに通えていた。

希死念慮もあって入院の話も出てたけれど前々回の受診で死にたいなら死ぬ気で今の問題に向き合ってみれば?って言われたので、そんなやる気は無いですと答えたらミルタザピンが増薬になった。

それからは希死念慮はあるものの落ち着いてた。

 

最近ODする回数が増えて週4、5回はブロンODしてた。前回の診察の時にもそのこと先生に伝えて多いんじゃない?って言われたし自傷行為のことも聞かれたから話した。仕事行く時に動悸がしてきついことを話したら心のキツさが体に出てるから心の声を聞いてあげてと。大晦日でもキツくなったら早めに来ていいよと珍しく優しかった。

 

日曜の夜、仕事のこと考えると気分の落ち込みが酷くてブロンOD。経緯はよくわからないけれど余っていたバルプロ酸も入れて計34T(頓服として飲んだジプレキサと就寝前の薬5Tは別)OD。あんまり寝れなかったけど仕事行くつもりだったから顔洗って、弁当作って、着替えてる途中でプツンと糸が切れたように動けなくなって、吐き気もあったから吐き気を理由に上司に電話して仕事を休んだ。電話した後に仕事を休んでしまったことの罪悪感、もうどうにでもなれと自暴自棄になりブロン30T、バルプロ酸10T、トラゾドン10T、計50T。昨夜から数えると90T OD。仕事の休みを有給休暇にして貰うために近くの内科を受診。動悸がひどくて心拍数140もあった。素直にODしたことを話したら内科だから専門的な治療は行えない、親も呼ばれて救急車で市内の総合病院に行くのかかかりつけに行くのかとの2択。とりあえず点滴してもらい、市内の総合病院に行ったところで精神面を診てくれるわけじゃないしその後かかりつけ病院に行けって言われるような気がしてたのと救急車に乗るのが嫌だったのでかかりつけ病院に行きました。主治医が非常勤なので別の先生に見てもらったけれど、人見知り、漠然とした質問への戸惑いで全然話せなくて終わった。長い治療計画の中でどのタイミングで入院した方が良いのか主治医とよく話し合ってくださいってなって次回の受診日はもとの受診日のまま年明けに。

親が今夜は心配だから実家に泊まるようにと実家の布団の中で帰ってきてからずっと過ごしてる。

 

今回、頭の中で起こってたことを整理すると、

・来年度の仕事の編成のことでどうするか話があり、来年度も生きなければならないのかと頭の中が混乱していた。

・仕事でここに行きたいって頭の中にプランがあったのに後輩のスケジュールの都合上難しくなってプラン変更を余儀なくされてパニックを起こしてしまいASDめんどくさいなってなっていた。

・神田沙也加さんの急逝。死ぬという選択ができたことが羨ましかった。

・後輩の勤務態度について病棟も違う僕がどこまで口を出していいものか、どう伝えればわかりやすいだろうか、キツく言ってしまって後輩を傷付けてしまったらどうしようかと僕自身の神経が擦り減らされていってしまっている。

 

こんな感じだろうか。職場には迷惑かけられないから明日からはちゃんと仕事に行くしかない。命をすり減らしながら。

久しぶりと最近のこと

時間が空いてしまったけど状況は変わらない。

4月23日に退院してから仕事復帰して今まで通り仕事しての毎日。

 

仕事は監査前だから忙しい。

だけどDCの人手が足りないからDCの手伝いに行って欲しいとかやってられない。

 

 

バルプロ酸飲むようになってから気分の変動も大きくなかったような気がするけど最近は調子悪くなるとブロン飲んじゃうようになっちゃって週2、3回はブロンに頼ってしまっている。ブロンも効きが悪くなった印象。ブロン飲んでる自分を正当化しちゃうしダメダメな自分。

ODを辞める気はないのかって話になってOD辞めると調子崩しちゃうんじゃないかと思って辞められないって言ったら依存だねと言われました。

 

主治医の診察で希死念慮60くらいあって週にブロン2、3回飲んじゃうって話したら入院は考えてないんだよね?って言われて自分の中では入院なんて念頭になくてとりあえずは仕事続けるつもりだったからショック。

それから入院ってワードが頭の中グルグル。

 

早く死にたいな。

前提の話

タイムラグが3週間あります...

 

そもそも任意なのに外出外泊しちゃいけないのかイマイチ理解できてない。
開放処遇の制限がかかっていることは理解できているけれど家族同伴でも外出がダメになっていたのか。これは先生のミスかもしれないけれど外泊許可も診察の時に言ったのに許可出てなかったし。

イライラして余計切りたくなる。切りたくなる前の心の観察が心理の課題だけど今回は先生に言ったのに外泊許可が出て無かったことで小さなイライラ。そのイライラがだんだんと大きくなってそのまま切っちゃった感じ。

診察では外泊したこと、変薬希望、単独外出したいことを話した。外泊はしたいこと何もできなかったこと。変薬は考えますって感じでどうなるか分からないけれど定期か不穏時か変えてもらえればと。「あなたの場合、薬ではどうにもならない部分もあるからね…。試してみたい薬があったら教えて下さい。」って感じの先生の反応。
開放処遇の解除は希死念慮が70くらいある状態じゃまだダメとのこと。まぁ離院した前科もあるし。これ以上希死念慮は変わらないかもしれないと伝えたけど、状態悪い時は良くならないって思っちゃうので今は状態が悪い証拠と言われ納得してしまった自分がいました…。

自傷衝動に駆られ、自傷することが増えた。左腕がどんどんグロテスクになっていくのをただ見守るしかできない。
これ以上入院しておく意味が見当たらないような気がする。僕はどうしたらいいだろうか。


そんなモヤモヤに耐えられない1週間で、診察では頓服のエビリファイの効きが遅いことに対して6mgに増量。開放処遇の制限の解除は希死念慮があるから次回の外泊での様子で判断。外泊したって何も変わらないのに…。
看護師さんが外に連れ出してくれたおかげもあって自傷は1回で済んだのは今後のことを考えると大きいかも。自分の自傷は何の為にしているのかを考えるけれどわからない。構って欲しさもあるかも…。

そわそわ感あって朝から自傷
自傷した理由なんて特にないよ。そわそわしていたからとしか言いようがない。